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昔話をすこし・・・

私の子供の頃のお話を少しいたします。
 生まれは、実は北海道函館なんです。湯の川という温泉で有名なところで生まれました。小学生の5年生まで函館に住んでいました。

 当時は、父母とおばあちゃん、私が長男で次男と三男、男ばかり三人兄弟で、合計6人家族です。父とおばあちゃんは、今はもうなくなりましたが、私はおばあちゃんっ子で、三文安いと言われて育ちました。昔はそういうことをよく言ったものです。とっても怖がりで、夜ひとりではトイレにもいけなかったんです。

 そんなある日、私が小学1年生くらいのときでした、大好きなおばあちゃんが入院したのです。
会いたさに、どうしても我慢できなくなり、夜ひとりでその病院まで駆けて行きました。外灯がホンワリついているだけでも夜道は怖かったのに、親もまさかあの臆病な政道が・・・と、来るとは思っていなかったおばあちゃんも、みんなビックリ。本人は、そりゃ必死だったことしか覚えていませんが・・・

 そんな怖がりの私の楽しみが、なんと“プロレス”でした。力道山・ジャイアント馬場・大木金太郎・豊登・吉村道明・当時の日本プロレスの人気レスラーたちです。アントニオ猪木前夜のころです、
 特にジャイアント馬場が大好きでした。私は子供時代は背が高いほうで、よくプロレスごっこをすると、ジャイアント馬場役になっていたのです。得意技は脳天唐竹割り(プロレスの技)。私はテレビのプロレスの時間がとっても楽しみでした。

 ところが、プロレスの始まる時間の夜8時は、子供の寝る時間です。昔は、どこの家でも子供の時間は8時まででした。
 狭い家で、居間件食堂件寝室のテレビのある部屋から、襖続きの隣部屋が子供たちの寝る部屋です。襖を閉じて寝るのですが、その隙間をこっそり、すこーしだけ開いて、食い入るようにテレビを見ていました。
 今思うと、親もその襖の開きからテレビの見える位置に邪魔にならないようによけて座ってくれていたのですね。

 うちでは、大のプロレスファンのおばあちゃんにテレビのチャンネル権がありました。当然一等席で食い入るように応援します。

 外人組みが反則の凶器を持ち出したりするとテレビの画面を手でかきむしって止めようとしてました。
 「ほらほらほらほらほらほらほらほら、レフリー、何してんの!!」とおばあちゃん。その興奮を、襖の隙間から手に汗にぎり見ていたものでした。

 しかし、夜8時に寝るという習性には逆らえず、私はプロレス終了の9時まで見届けたことはなく、襖の隙間を空けたままいつも夢の中でした。

 話は変わりますが、大人になってから気になることがあります。居酒屋などにいくと、たまに小さい子を連れてきている親がいます。時計を見ると10時、11時です。12時になっても見たことがあります。子供がなんだかとってもかわいそうだなと思ってしまうのは、私だけでしょうか?
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運動会は足袋でした。タイツがいやだった~
by kks-shokuninkai | 2009-05-20 18:48
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